スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --:--

「貧者の天使」マザー・テレサ

ノーベル平和賞受賞者であり、ローマ・カトリック教会の修道会
 「神の愛の宣教者会」の創設者、マザー・テレサが亡くなって
 十年を迎えたが、ここにきてマザー・テレサの生前の
 書簡内容が明らかになったそうです。

 それによると、コルカタで死に行く貧者の救済に生涯をささげた
 マザー・テレサが「神の沈黙と不在」に絶望し、
 「孤独な日々」を過ごしていたことが浮き彫りになっている。
 「貧者の天使」と呼ばれたマザー・テレサの告白は世界に
 大きな衝撃を投げ掛けているのだとか・・・

 内容は
 その修道女テレサが亡くなって五日で十年目を迎えたが、
 それに先立ち、テレサの生前の書簡内容が明らかになった。
 それによると、修道女テレサは
 
 「私はイエスを探すが見いだせず、
  イエスの声を求めるが、聞けない」
  
 「自分の中の神は空虚だ」
 
 「神は自分を望んでいない」
 
 といった苦悶を告白し、
 
 「自分は孤独であり、暗闇の中に生きている」
 
 と嘆いている。

 「貧者の天使」の告白に衝撃を受けた西側メディアは
 
 「テレサ、信仰への懐疑」などとセンセーショナルな
 
 見出しを付けて報じた。
 彼女は生前、その書簡を燃やしてほしいと願っていたが、
 どのような経緯からか燃やされず、
 このように彼女の内面の声が明らかになったわけだ。

 マザー・テレサの告白で彼女の神聖に疑問を投げ掛けることは、
 もちろんできない。
 しかし、修道女テレサの苦悩が、「神の不在」に関する
 現代キリスト教神学の不十分さを痛感させる一方、
 結婚と家庭を断念して修道院で神を求める信仰生活が神の願いで
 あるか、という問い掛けを内包していることだけは確かだろう。


マザーテレサほどの人物でさえ、
神はいないと絶望し、
孤独を感じることがあるというのは
私は、人として不思議なことではないと思います。

聖人として祀りあげられた人だから
そうあっては欲しくないと言う周りの感情や希望に
苦悩していたのは、彼女自身なのかもしれないですね。

信仰は時として人を救うこともあるでしょう。
でも、その信仰心故、様々な心の葛藤も起こるのでしょう。


下のマザーテレサの言葉は人に伝えると共に
自分自身への言葉であったのでしょうね

人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい

目的を達しようとするとき、
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても
気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。


この言葉には、人がどう思うかではなく
生きるということは自分の心の葛藤であり
自分の心との闘いではないかと感じます。

スポンサーサイト
今日のつれづれ | コメント(3) | 2007/11/01 11:11
コメント
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。